オスカー・ワイルドの風俗喜劇「ウィンダミア夫人の扇」(1892年初演)の映画化。原作戯曲は1925年のルビッチ監督作など、過去に何度か映画化されているようだ。今回の映画は物語の舞台を世紀末のロンドン社交界から、1930年のイタリアのリゾート地アマルフィに移している。主演は『ロスト・イン・トランスレーション』のスカーレット・ヨハンソンと、『恋愛小説家』のヘレン・ハント。
物語には感情の行き違いや親しいもの同士の中に生じる誤解など、確かに喜劇的と言えるモチーフが多く含まれている。しかし喜劇と悲劇は紙一重。この映画についてはむしろしっとりした情感を前面に押し出して、ひとりの女性の悲劇を描こうとしているようだ。多くの男性と浮名を流してきたアーリン夫人がアマルフィに現れ、ウィンダミア夫人の夫ロバートに言い寄って周囲にゴシップの種をまき散らしたり、プレイボーイのダーリントン卿がウィンダミア夫人を口説いたりする様子は楽しくニヤニヤ見ていられるのだが、物語後半になってアーリン夫人の思いがけない素性が明らかになると、ここから物語は彼女の悲劇になっていく。
映画前半では観客にもアーリン夫人の正体を誤解させておくのがミソ。映画の中で登場人物たちが知っている事実と、映画を観ている観客が知っている事実のギャップを、うまくさじ加減してドラマを最後まで引っ張っていく脚本のうまさ。そしてそんな脚本の企みを、見事に演じきる俳優たちの演技。特にヘレン・ハントが素晴らしい。ひとりの女性の中に生まれる感情のせめぎ合いを巧みに表現しつつ、アーリン夫人というキャラクターを最初から最後まで好感の持てる人物として演じている。
トム・ウィルキンソンが演じるタピィという男の存在が、映画後半で大きくなっていく。この人物は映画のオリジナルらしいが、恋する中年男の純情と誠実さが伝わってくる好演だ。2度の結婚離婚歴があるというタピィが、余裕たっぷりにアーリン夫人をエスコート。しかしその求愛がただの戯れ言ではなく正真正銘本物であることが、クライマックスでさっと顔色を変える彼の表情から見て取れるというシーンの残酷さ。ここで彼はそれまでの余裕をすべて無くしてしまう。恋する男の純情と嫉妬を、台詞に頼らず表情の変化だけで表現するのだ。この時のヘレン・ハントの表情もいい。この瞬間に観客は、アーリン夫人の本心を知ることができるのだ。こんな劇的な場面を、まったく押しつけずにさらりと見せてしまう贅沢さ!
雨のニューヨークで始まり、アマルフィでドラマが展開し、最後は主人公がいずこにか去っていくという広がりのある構成。最後のオチは当然予想されるものだけれど、その予想通りにピタリとはまる気持ちよさったらない。(ただし最後の会話は、字幕にもうひと工夫ほしかった。字幕だけ読んでいると、会話が少しチグハグになっている。)
(原題:A Good Woman)
|