目もくらむような断崖絶壁の上から身を投げる少女。まだあどけないその顔は悲痛な表情をたたえているのだが、いったい何が彼女をそうさせてしまったのか? 『酔っぱらった馬の時間』や『わが故郷の歌』のパフマン・ゴパディ監督の最新作は、2003年に始まり今も続くイラク戦争直前のクルディスタンを舞台にした少年少女たちの物語だ。僕はこの監督の過去2作も観ているが、今回の映画が最も胸にズシリと響いた。この監督はまだデビュー3作目だが、彼が今後どれだけの映画を撮ろうと、この映画は彼の代表作として今後も長く語り継がれるに違いない。
物語の舞台は、イラク北部にあるクルド人たちの村だ。山間の小さなくぼ地にひしめくように集落が密接しているのだが、それを横切るようにトルコとの国境線がある。村には大人たちの数が少なく、老人と子供ばかりが多い。子供たちのリーダー格は戦争孤児の少年ソラン。彼は便利屋として村々を回り、しきりに衛星放送の受信を勧めるので「サテライト」というあだ名で呼ばれている。戦争が近づき、村人たちは情報に飢えている。サテライトことソランはどこの村でも引っ張りだこだ。そんなある日、彼はクルド人難民の美しい少女アグリンに出会い一目惚れしてしまう。彼女は両腕のない兄ヘンゴウと、まだよちよち歩きの赤ん坊と一緒に難民キャンプで暮らしているのだ。
戦争前という特殊な状況の中で、子供たちは村のすべての活動の中核になっている。便利屋のサテライトは村の長老たちから頼りにされ、三顧の礼をもって大切な客人として扱われる。彼は子供たちのリーダーとしてあらゆる場面で陣頭指揮を取り、自分が村にとってなくてはならない人間だということも熟知している。サテライトはこの村の小さな王様のようなものだ。だがその指揮下に決して入ろうとしないのが、両腕のないヘンゴウとその妹アグリンだ。アグリンに好意を持つサテライトは、何とかして彼女の気持ちをひきたいと思うのだが、ヘンゴウに対するライバル意識が邪魔をする……。
大人ぶった子供たちの演じる、お決まりの幼い恋の物語だ。クルド版『小さな恋のメロディ』のようなものか……。だがサテライトやその子分たちの天衣無縫な活躍にニヤニヤしていた観客たちは、徐々に明かされる難民兄妹の過去を知って愕然とする。アグリンが味わった辛酸。彼女が自分の世話をしているよちよち歩きの赤ん坊と、決して馴染めない理由。フセイン支配下のイラクでクルド人たち蹂躙されてきた象徴が、この小さな3人家族なのだ。アグリンの暗い表情も、ヘンゴウの頑なさも、すべては彼らの過去と固く結びついている。
アグリンやヘンゴウの過去を知った観客たちには、もはやサテライトの振る舞いが幼く見えて仕方がない。サテライトの精一杯の背伸びと挫折。やがて村にアメリカ兵たちがやってきた日、サテライトはただの子供に戻ってしまうのだ。
(原題:Lakposhtha ham parvaz mikonand)