コンサートピアニストになる夢を捨てきれないまま、生活のためピアノ教師の仕事を始めたジス。ソウル郊外の古アパートを改造してピアノ教室を作ったはいいが、子供の指導にはまるで身が入らない。そんな彼女の教室に、イタズラのために入り込んだ近所の腕白坊主キョンミン。彼のイタズラに手を焼くジスだったが、ある時ふとしたきっかけから、キョンミンが絶対音感の持ち主で、ピアノにも並々ならぬ興味と才能を持っていることを知る。この天才少年にピアノを仕込んで世に売り出せば、自分はピアノ教師として脚光を浴びることができる!
登場人物の髪型やファッションなどが野暮ったく、ヒロインがピアノ教室を開くソウル郊外の生活描写も貧しげだし、絵作りも全体に光が回った平板な調子。まるで一昔前の映画のような画面なのだが、映画を最後まで観ると、こうした絵作りが意図的なものだったことがわかる。じつはこの物語、現代から十数年前の過去を回想しているという設定なのだ。しかしそれは、映画の導入部でまったく説明されていない。ひょっとしたら韓国の人には、登場人物の服装やメイクでそれとなく時代背景が察せられるのかもしれない。しかしこれはもっと普通に、現代のシーンから回想にした方がわかりやすいと思う。
よくある「社会から孤立している天才少年の物語」だが、それを少年側の視点から描かず、彼を発見するどちらかといえば人並みの才能しかないヒロインの視点で映画にしているのが面白い。このヒロインはコンサートピアニストを目指して音大に入ったものの、実家に経済的な余裕がなくて海外留学のチャンスを逃し、海外留学して一流ピアニストになった友人に引け目を感じているという設定。音大を出た人のうちプロの演奏家になる人はごくわずかだから、おそらくほとんどの音大出身者はこのヒロインと似たり寄ったりの道を経て、学校の先生になるなり、音楽教室を開くなりして生活しているのだ。
アーティストの世界では才能と努力がものを言う。才能があっても努力しなければ認められない。しかし才能のない者はいくら努力しても芽が出ないという、残酷な事実も存在する。ヒロインのジスは、自分には他人に負けない才能があると信じている。自分はその才能を伸ばすチャンスに恵まれなかったのだと考えている。でもそれは本当なんだろうか? このあたりを、映画ははっきり描かない。彼女の最後の決断は、経済的な事情によるのか、社会的な制約によるものなのか、それとも彼女がついに自分の才能の限界に気付いたのか。
そう悪くはない映画だと思うが、あちこちに掘り下げ不足なところがあって、それが観る側の感動を中途半端なものにしていると思う。クラシックの名曲をいろいろとちりばめているが、その選択と構成に説得力がないのも残念。ラストの1曲で感動を盛り上げるなら、同じ曲を前半でもっと観客に印象づけておかないとね。
(英題:For Horowitz)
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