パンダのポーは家業のラーメン屋を手伝う、食いしん坊のカンフーおたく。なにしろ住んでいる町はカンフーの聖地翡翠城のお膝元。カンフーの始祖ウーグウェイ導師やその一番弟子シーフー老師、練達の5人の高弟マスター・ファイブは、町の子供たちにとって生きる伝説、永遠のアイドルなのだ。だがそんなカンフーの聖地に、恐るべき知らせが飛び込んでくる。かつて翡翠城でカンフーを学んだものの悪の道に踏み込んだタイ・ランが、幽閉されていた極北の刑務所を脱走したのだ。ウーグウェイ導師はタイ・ランに対抗するため、奥義を記した龍の巻物を託す戦士を選ぶ演武大会を開催するのだが……。
『シュレック』シリーズのドリームワークス・アニメーションが製作した、動物たちによるカンフー・アクション映画。最近のアクション映画は多かれ少なかれCGを使ってアクションシーンの演出をしているので、ならばいっそのこと最初から最後までCGにしてしまった方が余計な制約がなくて面白かろう……ということか。今やハリウッドでもカンフーアクションが格闘シーンのスタンダードになっていて、『シュレック』でも『スター・ウォーズ』でもアクションシーンはカンフースタイルだった。世界の映画ファンはみんなカンフーが大好き。カンフーはアクション映画のグローバルスタンダード。それに加えてハリウッド映画の中国市場への目配せが、今回の映画につながっているのだろう。
この映画のテーマは、「自分らしい自分になれ!」ということだろう。主人公ポーは「自分は自分でしかない!」ということに開き直ることで、逆に自分の限界を乗り越えることができた。しかし宿敵タイ・ランは「龍の巻物を手に入れて今の自分を越える力を手に入れたい!」と願うことで、むしろ自分の可能性を狭めてしまうのだ。人間は無限の可能性を持っている。その可能性は、自分の中に眠っている。それを引き出せば、人間はどこまででも成長していくことができる。でも可能性を外に求めると、人間は今の自分に足踏みしてしまう。
自分の内なる力を目覚めさせるには、もちろん修行も必要だし、指導者も必要だろう。導師とは自分をここではないどこか遠くに導いてくれる存在ではなく、自分の内側にある可能性を導き出してくれる存在なのだ。そんなことを素直に受け入れるポーと、指導者を否定し乗り越えることで力を得ようとしたタイ・ランの違いが、映画のラストバトルへとつながっていく。
「その技は師匠に習ったのか?」
「いや、自己流さ」
本当の強さを身に着けるため「自分になる」ことを徹底すれば、あらゆる技術は最終的に自己流にたどり着く。これは映画の中のカンフー修行に限らず、どんな世界でも通用する真理だろう。しかし最初から自己流では、本当の自分に出会うことはできない。それが何か技術を身に着けるということの難しさだ。
(原題:Kung Fu Panda)
DVD:カンフー・パンダ
サントラCD:Kung Fu Panda 関連書籍:カンフー・パンダ ドリームワークス アニメーション・シリーズ THE MOVIE NOVEL 関連洋書:Kung Fu Panda おもちゃ&ホビー:カンフー・パンダ関連 ゲーム:カンフー・パンダ 関連DVD:マーク・オズボーン監督 関連DVD:ジョン・スティーヴンソン監督 関連DVD:ドリームワークス・アニメーション |