シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」を、ローマ郊外にある本物の刑務所の中で、本物の囚人たちが演じた映画だ。刑務所内での演劇実習という設定だが、これはドキュメンタリーではなく劇映画。とはいえ撮影場所は紛れもなく本物の刑務所で、劇中に登場するのもまた、多くが本物の囚人たちだ。例外はブルータスを演じる俳優のサルヴァトーレ・ストリアーノだが、その彼も2006年まで囚人として刑務所に服役し、実際に刑務所内の演劇研修を受けたという経歴の持ち主。ストリアーノも含めて囚人たちは全員「本名」で出演しており、映画が完成した今もなお刑務所の中にいる者が多い。監督は『父/パードレ・パドローネ』や『グッドモーニング・バビロン!』で知られるイタリアの兄弟監督パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ。
映画は刑務所内の劇場で演じられる「ジュリアス・シーザー」のクライマックスから始まり、そこから半年時間をさかのぼって、舞台のためのオーディションや芝居の稽古風景が戯曲のストーリーに沿って綴られていく。これだけだと『コーラスライン』のように延々殺風景な空舞台で物語が進行してしまいそうだが、本作ではステージや稽古場は改装中で使用不能という制約が加えられ、役を演じる囚人たちが刑務所の廊下や監房の空きスペースを使ってシェイクスピアを演じるのだ。これが映画のあちこちでドラマチックな効果を上げている。特に印象に残るのはシーザーが暗殺される場面と、暗殺後に行われるブルータスとアントニーの有名な演説シーンだ。特に後者は刑務所の各監房から見下ろせる中庭にシーザーの遺体を置き、それを各監房の鉄格子に顔を押しつけながらそれを見守る囚人たちをローマの群衆に見立てる演出。移り気な群衆の支持が、ブルータスからアントニーに傾いていく地鳴りのような不気味な迫力には驚くばかりだ。
日本で上演されるシェイクスピアが日本語に翻訳されているように、この映画の中で用いられているシェイクスピアも当然イタリア語に翻訳されている。だが古代ローマを舞台にした「ジュリアス・シーザー」では、役名が現代のイタリア人にもありそうな普通の名前になるのが面白い。シーザーはチェーザレ、ブルータスはブルート、キャシアスはカッシオ、マーク・アントニーはマルカントニオ、オクタヴィアスはオッタヴィオといった具合だ。劇中では登場人物たちの台詞がイタリア各地の方言で語られているそうだが、生憎と日本語字幕ではその微妙な違いまではわからない。
イタリアの刑務所で長期刑を受けている囚人たちは、その多くが組織犯罪に関与して逮捕されている。要するに元マフィアの構成員なのだ。暴力に明け暮れていた男たちに、古代ローマの血なまぐさい権力闘争を演じさせるというアイデアと、出演している男たちの達者な演技には舌を巻くばかりだ。
(原題:Cesare deve morire)
原作:ジュリアス・シーザー(シェイクスピア)
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