キリングゲーム

2013/11/25 ショウゲート試写室
ロバート・デ・ニーロとジョン・トラボルタが初共演。
面白そうな映画なのにヌルイ仕上がり。by K. Hattori

13112501  1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、1995年にはNATO軍が本格的に介入してようやく終結した。それから18年後、ボスニアに従軍経験がある元軍人ベンジャミン・フォードは、アパラチア山脈の奥地で世捨て人のような暮らしをしていた。そこにふらりと現れたのが、ボスニアからやって来たというエミール・コヴァチという男。狩猟のためにやってきたという彼はフォードと意気投合して一晩飲み明かし、翌日は大物を狙って一緒に森の奥に入って行く。だがこれはコヴァチの仕掛けた罠だった。彼が狙っている本当の獲物は、ボスニア紛争当時、自分を撃って重傷を負わせたフォードだったのだ。「どうしたフォード。まだ戦争は終わっていないぞ。ふたりであの時の続きをしようじゃないか」。コヴァチは森の中を逃げるフォードを、巧みに追い詰めていくのだが……。

 元アメリカ軍人フォードを演じるのはロバート・デ・ニーロ。セルビア人の元軍人コヴァチを演じるのはジョン・トラボルタ。映画はこの大ベテランたちによる二人芝居だが、彼らが森の中を縦横に移動していくので空間的な狭さは感じない。デ・ニーロとトラボルタは初共演だというが、タイプの違うふたりのスター俳優のちぐはぐな感じが、むしろこの映画の中では生きていると思う。監督は『ダイ・ハード』のジョン・マクティアナンで途中まで進んでいたが、彼が降板したことでマーク・スティーヴン・ジョンソンにおはちが回ってきた。(マクティアナンは2003年の『閉ざされた森』の後にFBIへの虚偽証言で逮捕され、刑務所にぶち込まれてしまったのだ。)映画はそつなくまとまっているが、主演スターにちょっと遠慮しているかもしれない。極限状態の中で18年前の戦場の狂気が蘇る話なのに、ここではデ・ニーロにもトラボルタにも肝心の「狂気」が感じられない。彼らは狂気じみた行為を繰り返しながら、目つきも表情も最後まで「正気」なのだ。

 映画の序盤からコヴァチはかなり頭がおかしいのだが、その狂気にフォードが引き込まれるのは、彼がコヴァチを取り押さえて自宅内に監禁するところからだろう。なぜ彼はそこで警察を呼ばなかったのか。頭のおかしなセルビア人に弓矢で撃たれて足に穴が空き、そこに紐を通して吊される拷問を受け、命からがら自分の小屋に戻ったら今度は息子夫婦を狙撃されそうになり、ようやくその相手を捕らえたんだから、普通は警察を呼ぶでしょ? でもフォードは警察を呼ばない。この時点で彼は既に、コヴァチの狂気にからめ取られているからだ。だが映画を観ていても、フォードが正気の側から狂気の側に飛び移ったその瞬間がわからない。たぶんコヴァチに矢を放ったのがその瞬間なのだろうが、ここで彼が「あちら側」に行ってしまったその感覚が映画からは伝わってこない。素材としては面白いのに、結果としてはヌルイ映画になってしまった。

(原題:Killing Season)

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1月11日(土)公開予定 新宿バルト9
配給:ショウゲート
2013年|1時間25分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|5.1ch
関連ホームページ:http://www.killing-game.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
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